身体が痛い日々を過ごすという事について
お恥ずかしい話なのですが実は私は去年の春頃から約1年に渡って身体に不調を抱えておりました。
具体的な事を書くのは避けますが、身体の内側からの不調でして自分ではどうにもならず。
いくつかの専門医にかかりながら薬も色々と試しながら痛みやツラさと向き合う日々を数ヶ月過ごしてきました。
そんな日々では、まず朝起きると不調の部分を観察することから始まります。
そこで痛みや不調があれば「あぁ、またこの不調と闘う一日が始まるのか・・・」とウンザリとした気持ちになる。
もしその時にいつもより調子が良いと「もしかしたらこのまま良くなるかも?」と期待を抱くけれど時間が経つとやはり痛みやツラさが出てきて変わっていないと思い知る。
・・・と、大体こうやって一日が始まります。
そこから仕事に向かいますが、どうしたら楽に過ごせるか?ばかりを考えるようになってきます。
「今日は午後からあの用事があるけれど大丈夫だろうか?」
「今日の夕方からあの予約があるけれど無事にやれるだろうか?」
このような事ばかりを考える日々で、そのような状態で一日が終わるとグッタリと疲れ切ってしまう事の繰り返し。
そして「明日は少しは楽になっていますように」と願いながら帰宅するという感じでした。
このような日々を1年弱にわたって過ごしてきまして、結果的には幸いにも良いドクターと巡り合うことが出来まして、
なんとか不調は根治できまして今ではあの悩みはなんだったのか?と思える状態になれました。
しかしながら、この期間は本当につらい時間でして、身体の痛みに向きあう立場としてはいろんなことを考えさせられました。
当院にお越しになられる皆さんにはいくつかの治療を試したけれど変わらなくて困っていらっしゃる方々が多くいらしゃいます。
数年単位で痛みや不調にお悩みになられてお困りのかたも多くいらっしゃいます。
このように身体に痛みや不調を抱えた生活をしていると、その状態ばかりを気にする時間がどんどんと増えていき、気持ちとしては「まるで痛みに耐えるために生きている」ような感覚になってきて、普通の感覚とは違う価値観の中で日々の生活を過ごすようになってしまいます。
当院にお越しになられる方で(特にご高齢のかたは)「こんなに膝の痛みに悩む毎日ならいっそ死んでしまったほうが良い」というようなことをおっしゃるかたがいらっしゃいます。
「膝が痛くて外に出る気にならないし、孫とどこかへ遊び行く気持ちになんかならない」というようなかたもいらっしゃいます。
ご家族は「なにを馬鹿なことを」と笑っておられてそれはそれで必要なことだと思いますし、私もそんな時にはアッサリと受け止めるようにしています。
ですが、実は私はその気持が良く分かります。
「痛い」というのは元気な気持ちや前向きな気持ちを削ぎ落としてしまいます。
「痛い」というのはやる気とか楽しみたいという気持ちさえも剥ぎ取ってしまいます。
「痛い」というのは身体にとっては必要なことなのですが、それにしてもここまで痛くなくても良いじゃんかと自分の身体を恨まずにいられなくなってしまいます。
この一年間のつらい経験を通して感じたのは改めて痛みで困っているみなさんのお役に立ちたいということでした。
今回の私のような事例などのように何でもOKとは言えないのですが、少しでもお役に立てるように今後も精進しなければと改めて考えさせられるキッカケとなりました。
みなさまが良い一日を過ごせるように願っております。
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