「努力は夢中には勝てない」 成長痛と痛み改善専門 【ひろメディカルケア】
ブログ毎日更新を現在は続けていますがこれって「努力」で出来るのか?と思う時があります。
もちろんなかなかキツいことも多いのですが、やっぱり書いてるときには「夢中」になることが出来るから続いてるのかな?と思います。
けっこう書き始めると「ガーーーっ!」と入り込むタイプなのです(笑)
もと陸上競技選手である為末大さん著「生き抜くチカラ」という本があります。
この本には面白い言葉がたくさんあるのですがこの中に「努力は夢中に勝てない」という言葉があります。
自分でもこれまでに思うことが多かったこの言葉について書いてみたいと思います。
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「努力」は「夢中」に勝てない
本当に強いのは、
苦しい努力をがんばって根気よく続ける人よりも、
そのことがおもしろくて、つい夢中になっていたという人。
為末大著「生き抜くチカラ」P101より
私は中学生のころにギターを手に入れてから今に至るまで趣味として続けています。
ギター教室に通ったとか、誰かに師事したということはなくて完全に独学なのですが、「ギターを弾けるようになりたい」という想いは異常に強かったです。
暇さえあれば近所の書店などに行っては「ギター入門」のようなものを片っ端から立ち読みしてました(小遣いが足りないので・・・)。
そういう部分も含めてですがギターに関して「努力しなくては」という感覚になったことが今までありません。
中学生でギターを手にいれた直後は時間さえあれば延々と弾いていましたが、その時には「練習」という意識さえなくてひたすら「楽しい」だけでした。
高校を卒業してから、少し勘違いしてバンドで頑張っていた時にも同じで一人暮らしの部屋で延々とギターを弾いてました。
なかなかイメージできないと思いますがテレビを見ながら、食事しながら、電話しながら、寝るときも・・・と常に手にギターを持っているような感じ。
でも「努力しなくては」という気持ちになったことはありません。
「この曲が弾きたい!弾けるようになりたい!」という想いになって練習することは何度もありますし、弾けなくてふてくされたこともあったと思います。
でもそれは「努力しなくちゃ」では無いんです。
その挑戦自体に「夢中」になっていただけでした。
そうやっているとけっこう難しい曲も弾けるようになったりするのですが「苦しい」とか「つらい」という感覚はありませんでした。
実は最近でも弾きたいなと思う曲があるとけっこう頑張って練習してFacebookに載せたりしていますが、それも「夢中」になってやっているのです。
こういうのは、自分の場合には「努力しなくてはならない」という理由がありません。
嫌なら止めれば良いだけの話ですし、「努力」という気持ちだったら続かなかったのではと思います。
下の動画は少し前に載せた動画です。
さすがに今はずっと弾いてるわけにはいかないのでやろうと思ったらかなり集中的にやることになります。
こういうのは別に「やる必要」が無いんだけど、でも、なんだか挑戦したくなってしまう。
そして「夢中」になってやってしまうのです。
もう一つの夢中「サッカー」
小学生のころ、サッカーをやっていて正直いって「楽しい」と思ったことがありませんでした。
ポジションは「フルバック」、いまでいう「センターバック」です。
父親がコーチをやっていて、出された指示は「ペナルティエリアのところにいて転がってきたボールを思い切り蹴り返せ」だけ(笑)
「サッカーとはそういうもの」だと思っていたので、言われた通りに転がってくるボールを思い切り蹴り返すのですが、キック技術は無いままなのでつま先で蹴り返すのでこれが痛い・・・。
この頃はサッカーは私にとっては「やらなくてはならないもの」だったように思います。
結果、サッカーを楽しいと思ったことはほとんどないまま何となく遠ざかっていましたが、20歳を過ぎたころに友人に誘われて遊びでフットサルをやることに。
そしたら、これがとても楽しい記憶として残りました。
その後に自分で仲間を集めてフットサルチームを作ったり、サッカーチームを作ったりするようになって既婚の子持ちでありながら毎週末はサッカーばかりの日々になるのです。
もう30歳を越えているのに時間さえあればグラウンドでボールを蹴ったり、家の前でリフティングやったり。
雨が降っていてもボールを壁打ちしたりしてました。
もともとたいした技術が無いのでやればやるほど上手くなる実感もあって人の目も気にせず「夢中」になってやっていました。
「やべっちFC」という番組内で出される「宿題」なども「あれ出来るようになりたい!」というアホみたいな感情でひたすらやるのですが、やはりこの時も「練習しなくちゃ、努力しなくちゃ」という気持ちはなくて「楽しい」しかありませんでした。
まとめ
自分がのめり込みやすい性格なのかもしれませんが、「努力は夢中に勝てない」というのはものすごく共感できます。
サッカーのコーチをやっていた時に強く疑問に思っていたことがあります。
子どもたちの中に普段にサッカーをやったり見たりしない子がそれなりの数いること。
サッカーチームに入ってくる子達なのに「家でもボールに触ろう」と言わなくてはならない状況が不思議でしかた無かった。
「サッカー好きなんだよね?」と聞けば「好き」と答えるのだけれど、チームから離れるとサッカーを忘れてしまう。
なぜなんだろ?好きなら言われなくても自分からやるんじゃないのか?
こういうことを考えているうちに自分の指導方法に原因があるのでは?と考えるようになりました。
最初は「努力できる選手にすることが上手くさせる近道」と考えた指導をしていました。
これはこれで完全な間違い・・では無いと思うのですが、漠然と「自分はギターを弾いてる時に努力などというものを考えただろうか?」という考えが常に付きまとうように。
そういう経緯から少しずつ「どうしたら努力してくれるか?」から「どうしたら夢中にできるのか?」を考えるように。
例えばリフティング回数をある決められた回数出来ると「ご褒美シール」をもらえるようにしてそれを集めるようなこともやりましたがこれはみんな夢中になって練習してくれて劇的に上手くなりました(「ご褒美を与える」ことの是非はここでは置いておきます)。
さらに、その後にはご褒美形式からもっと本質的な部分で面白さを伝えるには?と考えるようになりました。
例えば、延々と反復ドリル練習をやらせるよりも、出来るだけゲーム形式の中で技術が身に付くような練習を主体にするなどもその影響でしたし、元フットサル日本代表監督のミゲル氏のトレーニングを何回か見たのもそれに拍車をかけました。
練習方法がそういう形になると確かに多くの選手は「夢中」になってくれる感があるのですが、それでもやはり一部の選手は喰い付いてこない。
むしろ逆に「それはつまらない」という選手も少数ながらいたのも事実なので偉そうには言えません。
そもそも他人を「夢中」にさせるのに方法があるのか?
「夢中になる」ということに何かしらの後押しは必要なのか?
やってみたら「夢中になった」というのはあるとしてもなかなか外から「これを夢中にさせる」というのは難しいのではないか?というか不可能なのでは?
そんなことを考えていると夢中になれるものに出会えるという事自体が奇跡的に幸せなことなんだと思うし、子どもたちは「このスポーツ」と決めつけないで色々な事をやってみて「夢中」なれるものを探すのも良いのでは?と思うようになった次第です。
それでは良い一日を!
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